概要
19世紀 後半、欧米が市場を求めてアジアへ進出した世界状況で日本の安全保障を確保するには、天皇の権威を背景に 江戸幕府 を中心とする体制を再編し、国体を強化する必要があるとする東湖だが、その幕府は慣習に囚われた門閥で占められていた。東湖はこの状態を”シロアリ等々の虫に食い荒らされ、中身が腐って倒れる寸前の老木のようなもの”だとして「陽だまりの樹」と呼ぶ。閉塞状況を打開するものは青年の行動力以外にないとする東湖の言葉は、回天史詩の「三度死を決し」を愛唱する関東小藩の下級藩士であった伊武谷万二郎の胸に熱い思いを刻み込んだ。 主人公の万二郎は無骨で真面目、退屈なお勤めに疑問も抱かず、登城のマラソンもいつも一番という、平時の武士として見本のような男であった。一方、もう一人の主人公である蘭方医の 良庵 は、医師の家に生まれて大坂 適塾 で医師の門をくぐったエリートだが、江戸に戻っても放蕩ぶりが父の 良仙 に厳しく戒められるほどの遊び人。江戸っ子らしく間口は広いが封建的で権力闘争に終始する医学界には批判的であり、また人間らしく生きたいとする夢想家のノンポリとして時代を眺めている。対照的な万二郎と良庵だがなぜか二人はウマが合った。 安政の大地震 に際して被災者を誘導し無事に避難させたことから 阿部正弘 の目に留まった万二郎は、アメリカ総領事 タウンゼント・ハリス へ幕府側からの護衛として派遣され、友人となる通訳 ヘンリー・ヒュースケン と出会う。一方良庵は、幕府から提案された 種痘所 開設を目指して良仙と共に尽力するが、西洋医学を嫌う 御典医 達から様々な嫌がらせを受ける。 その後、軍制改革により農兵隊の隊長となった万二郎は、朽ちかけた「陽だまりの樹」である幕府への忠誠だけでなく、自分が本当に守りたいと思う人々との出会いにより銃を取り、 戊辰戦争 の戦場の煙に消えた。万二郎と情熱を傾けて語り合った 西郷隆盛 は、流れに逆らっても何にもならないと呟く。これに対し、傍観者だったはずの良庵は、時代に合わせるだけが生き方ではない、と反発する。 明治に移り、皮肉にも流れに逆らって自滅の道を選んだ西郷を討つための 西南戦争 に従軍する良庵。時代は彼を高位の軍医、手塚良仙に変えていた。出陣する準備の中、心のなかに現実に屈せず理想を追った友人への憧憬がよぎる。その良庵も戦場で 赤痢 に斃れ、時代に流されて帰らなかった。